最近、ナルトを一から見ることにして、見事に時間を浪費する事に成功している笑、深夜3時まで夜更かししてまで見れるほど面白い。現在は木の葉崩し編の場面で、ナルトが中人試験を受けている場面である。

そこで、ネジと接触するたびに、生まれ持った才能才能、人は努力で変われるかどうかについて、対立するシーンがあった。

もちろん、主人公ナルトが努力で何とかなる派、ネジが人は生まれた時から運命は決まっている派、である。

登場人物のバックグラウンドをダラダラ書き文字数を稼ぎ、SEO対策するつもりは無い。

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この先、努力で何とかなるという締めに繋がっていくだろうと予想はつく、何故ならナルトは架空の作品であるから、ジャンプ系列という事もあり、ネガティブな方向へは進めないだろうから、嘘を書いてもフィクションだから…と言って済ませる事はできる。大体九尾の力を体に宿しているナルトくんに努力について云々言われても説得力は無い。

九尾の力とは、まぁ下手な説明になるが、高スペックなスマホだと思っていい、皆が通信制限やバッテリーなどをやり繰りしているのに対し、高スペックなスマホは動画をバリバリ見れる、3Dゲームをサクサクプレイ…なのに充電が切れないし通信制限がこない。この場合、動画やゲームは必殺技だと思ってくれれば理解は深まると思う。

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九尾持ちのフィクションアニメの主人公に努力は報われると言われても説得力がないのは理解できたでしょうか?お分かりの通り私は人生は生まれてた時から決まっていると思っている。

なぜなら私はそれを実感しているからである。私は幼稚園の頃から勉強していて、小学6年生まで通わせて貰っていた、そして、中学三年間は塾にも通わせて貰い、高校では私立に通わせて貰い、予備校にも通わせて貰っていた。その間に私は何を学んだろうか?一向に頭が良くなった訳でもなく、知識が身についた訳でもない、その間に幾らの勉強しない勢が僕を追い抜いて行っただろうか?

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この世は残酷で不条理である、努力している人は報われないとは限らないが、私の場合はどう足掻いても報われないようだ、逆にあまり勉強していない人が勉強をすると成績が伸びたと言う話はよく耳にしていた。「塾で偏差値30代のあの子が、偏差値65まで伸ばしたの!!」これは真実で良くある話である。つまり、全く勉強していなかったからダメダメの成績を貰っていただけで、勉強したら実はできる子だったと言う場合である。

以外にもこの様な人は巷に溢れている、私は勉強をさせて貰ってた割りには結果を残すことはなく、ズルズルとレベルダウンしていったが、今通っている学校にも才能がある人はゴロゴロいる、確かに学校の入試レベルからして勉強は得意そうではないと思われるが(と言うか自分で、あまり勉強をしていなかったと語っている)人間性で捉えてみると、とても輝いている。発言はするし自分なりに勉強を始めているそうだ。

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人間物事を始めるのは遅くていい、この人たちの場合は高校まではずっと勉強以外の事をしていただけで勉強ができないと決まった訳ではない、これから努力していけばいいのだ。

だが、私はどうだ?勉強の道に常に直面して12年...。幾度となく挫折と挑戦と繰り返し勉強はできないと私は結論ずけたのである。だから、努力はもうしない、報われないからである。英語は長文に力を入れてきたが全く読める様にならず、リスニングをしたところで無理なのは分かっている。現代文だって何が言いたいのか分からない。

こんな私でも、最終的に良い結果を残した事はないが、その過程で割といい成績をもらった事がある、それは私が中学2年の時、塾の模試の偏差値で65を取った事だ、時期が時期で皆が勉強してない時に孤軍奮闘し勝ち取ったスコアだ。だがこれ以降良い成績を取った事は無い。

2つ目は高校一年の時にオール5を取った事がある、またこれも皆が勉強していない時に孤軍奮闘した結果なのだが、学校の成績を取る事の意味に疑問を感じ辞めてしまったのだ。指定校推薦でもニッコマレベルもなく、それに勉強がキツイと感じたからである。ノートに教科書の文を写し穴埋めにしたり、単語帳を作ったりする作業が本当に面倒で、そうすれば点数は取れるが模試の成績は上がらない事に段々気付き、一年が終わる頃にはクラス順位:平均5位から平均10位にまで落ちてしまった。そんな悪く無いと思うが、この時のモチベーションは高校2年時にはクラス順を20位まで落とし、最終的にはクラス順位41位まで下がった。この話はまた今度ゆっくりするとして...

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私はネガティヴなのだろうか?諦めるほど精神力が弱いのか?どれも違う、私には集中力がないのである、具体的に話すと、先生の話を聞いていると頭がボーとして、空想をし始める。例えば、自分が音楽で成功してライブで観客を盛り上げているイメージ、勇者になって悪を滅ぼし地球を救うイメージ、革新的な発明をして社会問題を解決するイメージなどなどを頭の中に巡らせているのである、自分としてはこの時はとても気持ちがいい、単にボーとしている時も多い、白昼夢と言うのでしょうか?day dream beliverなのでしょうか?私には無意識的に襲ってくるこの空想が勉強するのを障害していたのある。

考えてみてください、まず先生の話を聞けないから授業の理解ができない、同時にリスニングなどは到底無理。長文、現代文を読んでいても空想をし始め話が途切れ途切れになる。こんな感じで私は時間を浪費してきたのである。今後一切勉強をするつもりは無い。文字を見るだけでこの障害が発動されるので、数式、プログラム言語も上手く取得できなかったのは、その為だと考えている。

努力が足りない、目標が無いのが悪いと言う人がいるだろう、この人は他人の事を考えられないエリートさんである、自分が才能でやってこれた為に。結果を残せられないと嘆く人の事などは共感できるはずも無く、この様に言うのであろう、この人達より努力量は多いと自信を持って言える。努力の方向性が間違っていると指摘されても、能力ある人はどんなやり方でも力に変える事ができるし、私みたな劣等生はどんな正しい方法を試してみたところで上手くいかないのである。

何故なら、集中できない障害があるし、結果を残すには攻略不可能なプロセスを継続してやっていかなければならないからである。それは、D0→Continue と言う単純なものだが、とても奥が深い、深くて解明できていない要素が沢山あると思われる。まず、Doを一日したとしても大抵は辞めるでしょう。それを続ける事のできる人は、まぁ居ないと思う。このプロセスは続けることが一番の難所で、精々持って3日から7日でしょう、そして一ヶ月と続けたとしても結果は出てこないんですよね。続けたとしても結局は才能が大きく左右すると思います、例えばゲーム実況ならばコミュ力が高い人が面白いし、声が高く、声の質、言葉遣い、方便、知識、地頭、これらは凡人と区別するプロパティーである、要素はもっとあるだろうし、自分にそのもっとが秘められているかも知れないから続けるべきではあるが、やはり結果のでない継続は厳しいですねー、成功する人は決定的な何かを持っていて、それがある分野で発揮された時に結果を産むのでしょうか?才能は既に生まれ持ったもので、身につける物ではないんだよ、努力したところで継続できないし、継続できたところで身につかない、身についたところで才能のある人と比べれば歴然の差!

私は言います「もう努力はするな!」と... 。やり方が間違っている訳などない、才能がある人はどんなやり方でも能力に変える事ができる、できない人は何をしてもダメなのである。大体、結果を残せる人は正当なモチベーションを持っている人では無く、その過程を楽しめる人なのです、まぁ勉強に関して言えば人並みに努力する→良い結果が出る→楽しい といった感じでしょうか、つまり頭の良し悪しが関係するんですね、勉強は。

じゃあ、こんな自分を変える事ができずに死んで行くのか?その通り、自分は変える子はできないのである(逆接の文が来ると思った方すいません笑)ですが、自分を変える事はできなくても自分にあった分野を探す事はできると思います、釣りなのか、絵画なのか、音楽なのか、スポーツなのか分かりませんが、それが分かった時には自分に神がかった様な力が湧いて...とは思いませんが、何だか楽しいなぁ程度でしょうか?結果が出なくても楽しいと感じる様な分野が出てくると思います、僕の場合はこのブログだったり、ゲームをする事です。どちらもネットを通じて配信していて、全く結果が出ませんがゲームをする事は楽しいですね。最近忙しくて更新できてないのですが、やはり才能ある人は早い段階でPV数を稼ぎモチベーションに変換、才能があるから見る人も増え続けることができる、例えどんなに多忙な日々が続いても。